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いま、多くの方にご覧いただいている当サイトの「淀の河津桜」の記事。
ピンク色に染まる並木道を楽しんだあとは、そのまま少し足を伸ばして、歴史の足跡を辿る「歴史散歩」に出かけてみませんか?
今回は、桜並木から淀城跡を経由して、幕末の歴史を今に伝える石碑までのウォーキングルートをご紹介します。
実はこのルート、私たち「京都ホームページ」のオフィスのすぐそばを通る道なんです。
淀 河津桜の記事はコチラ↓
満開の河津桜を堪能したら、まずは「淀城跡(淀城跡公園)」を目指しましょう。
並木道から北へ歩くこと約10分。かつての城下町の面影を残す街並みが見えてきます。
淀城は、江戸時代初期に徳川秀忠の命により築城された、水に囲まれた美しい「浮城」として知られています。
かつては桂川・宇治川・木津川の三川が合流する要所に位置し、水上交通の拠点として栄えました。
現在は、立派な石垣や堀の一部が残り、公園として整備されています。
400年もの間、淀の街を見守り続けてきたこの石垣は、春には桜との美しい共演を見せてくれます。
歴史ファンならずとも、その重厚な佇まいには圧倒されるはずです。

1623年、伏見城の遺構を転用して築かれた淀城。かつては三川合流の要害に浮かぶ「浮き城」として称えられました。

往時の面影を残す石垣。江戸時代を通じて、京都防衛の要として譜代大名が歴代城主を務めました。
淀城跡の歴史に触れたあとは、さらに15分ほど歩きを進めます。
目的地は、幕末最大の転換点となった戦いの記憶を刻む場所です。
静かに佇む「戊辰の役戦没者の石碑」。
1868年、ここ淀の地は「鳥羽・伏見の戦い」の激戦地となりました。
敗走する旧幕府軍は淀城へ逃げ込もうとしましたが、当時の淀藩は城門を閉ざして入城を拒絶。
行き場を失った多くの兵士たちが、この城下で命を落としたといわれています。
この石碑は、敵味方の区別なく、この地で散った名もなき戦没者たちを供養するために、明治時代に有志によって建てられました。
華やかな観光地ではありませんが、京都が、そして日本が大きく揺れ動いた時代の「熱」を今に伝える、非常に大切な場所です。

1868年、伏見から撤退した旧幕府軍は淀城への入城を試みましたが、淀藩の拒絶により歴史の荒波に飲み込まれていきました。

淀での入城拒絶は、旧幕府軍にとって決定的な打撃となりました。この地はまさに、日本の近代化への大きな分岐点となった場所です。
実は、今回ご紹介した「戊辰の役戦没者の石碑」から歩いてたった3分の場所に、私たちのオフィスがあります。
私たちは、この歴史深い淀の街に根を下ろし、日々ホームページ制作に励んでいます。
過去の積み重ねの上に今があり、そして未来がある。
歴史の重みを感じるこの場所だからこそ、私たちは「お客様の今を大切に形にし、未来へ繋ぐこと」を信念としています。
河津桜から石碑までは、合計で約25分〜30分ほどの道のりです。
歴史の浪漫を感じながら歩くには、ちょうど良い距離ではないでしょうか。
もし散策の途中で弊社の看板を見かけたら、「あ、ブログに書いてあった会社だ!」と思い出していただければ幸いです。
美しい花と、深い歴史。 今週末は、少しだけ足を伸ばして「淀の魅力」を再発見してみてください。
2026/02/24
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