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2026/02/27
歴史は勝者によって語られますが、敗者の中にこそ、現代の私たちが胸に刻むべき「誠実さ」や「不屈の魂」が眠っています。
私はこれまで、九州の大分にある長宗我部信親公の終焉の地、関ヶ原、そして大坂城と、長宗我部一族の足跡を辿ってきました。
そこには、時代に翻弄されながらも光を放った三代の物語がありました。
土佐の小領主から、わずか十数年で四国をほぼ統一した長宗我部元親。
その強さを支えたのは「一領具足(いちりょうぐそく)」と呼ばれる独自の軍事制度でした。
平時は田畑を耕す農民であり、一朝事あれば、足洗う暇もなく鎧をまとい、槍を手に駆けつける。
外部の傭兵に頼ることなく、自国を愛する者たちが自らの手で「地力」を鍛え上げたからこそ、彼らは最強の軍団となりました。
元親が成し遂げた四国統一は、まさにその「自前の底力」の証明でした。
元親がその才能を愛し、家臣からも民からも絶大な人望を集めた嫡男・信親。
豊臣秀吉の軍門に降った長宗我部家は、九州征伐への従軍を命じられます。
天正14年、戸次川(へつぎがわ)の戦い。軍監の無謀な作戦により、信親はこれが「死地」であることを悟りながらも、武士の義を貫くために退くことを拒み、激戦の中で22歳の若さで討ち死にしました。
九州の地にある彼の墓前に立つと、将来を期待された若き才能が、間違った戦略によって散らされた無念が静かに伝わってきます。
父・元親の死後、家督を継いだ盛親を待っていたのは関ヶ原の戦いでした。
西軍に属した長宗我部軍は、戦況を静観したまま一発の銃声も響かせることなく敗走し、改易。
盛親は土佐の太守から浪人の身へと転落しました。
しかし15年後、大坂の陣。盛親は「長宗我部ここにあり」と世に見せつけるため、再び戦場に立ちました。
八尾・若江の戦いでの激闘は、徳川軍を震撼させ、敗北が決定的になってもなお、一族の誇りと意地を歴史に刻みつけました。
四国統一を目指した「地力」、不条理な戦場でも逃げなかった「誠実」、そしてどん底から牙を剥いた「意地」。
長宗我部三代が駆け抜けた物語は、400年以上の時を経た今も、私たちの生き方を問い直してくれます。
どれほど不運に見舞われても、自分の信じる「道」選んだ生き様は、ひとつの理想の姿ではないでしょうか。
この「長宗我部家」の誠実な姿勢は、現代のWeb制作においても決して忘れてはならないものだと私は考えています。
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